中津市三光の霊山「八面山」で、朽ち果てたお堂「猪川内(いのこち)岩屋堂」の再興に取り組んだ秦忠弘さん。
地域おこし協力隊として活動しながら、初挑戦のクラウドファンディングで見事成功させました。
ぼんやりと知ってはいるけれど、なかなか挑戦する一歩を踏み出せないクラウドファンディングに、どう挑戦して願いを達成したか、
秦さんご自身のレポで、
その1「さわりのお話」
その2「なんでクラウドファンディングなん」
その3「作業中のお話」の三本立てでご紹介します。
【その1:さわりのお話】
6月末をもって、地域おこし協力隊の業務が終了しました。任期3年間いろいろとありがとうございました。
もともとだらしのない性格で夏休みの宿題『夏の友』はズルズルと出さない子供でしたが、
『夏休みの研究』はわりと丁寧に調べなかなか大作なものを毎年楽しみながら出していたように記憶しています。
地域おこし協力隊の業務はその『夏休みの研究』をずっとやっているような充実感のある日々だったと思います。
猪川内岩屋堂の整備は最後の『夏休みの研究』でした。
~夏休みの研究風景(任期中の風景)~
地域おこし協力隊として三光支所に赴任し、求められた業務は八面山の観光ガイドでした。
とはいえ最初から決まった仕事があるわけではなく、
まずは八面山を知ることと思い現地踏査と文献調査を行い八面山の特徴を把握することに努めました。
その中の一文に猪川内岩屋堂という言葉と廃れた風景写真があったのです。
ものの本によると猪川内岩屋堂は、平安後期から続いていた八面山峰入り回峰路の一ヶ所で
そこに安置している木仏の観音さんは11世紀の作。
「1,000年前っすよ。スゴイ。」って思って当地に行くことにしました。
以下話体(ちょっと方言交じり) すみません。
が、わからないんすよ場所が、だれに聞いても。
地図見てんわからんし、ただ池の近くっていうことだけわかっているので、
池まで行って周りを眺めているとなんか対岸の森の中に岩肌が見えよる。
そこまで行ってみよって思って行こうとするけど 急な崖。
諦めかけて下からぼ~っと眺めよったら、なんかくぼんだ崖が見えよるやん。
はいつくばって登ったよそん崖まで。
で、登ったら最高の場所やったよそん場所。
もちろん石仏も安置されちょるし木仏も 当たりやった。
そん場所 常緑の木々に囲まれた暗い森の中にあるんやけんど、
崖の一段上に登ると日が差し込みその先に八面山の箭山神社のある峰が見えよる。
なんかちょっと囲まれた母体回帰的な安心感のあるあたたかい場所。いい感じ。
でん(でも)、木仏の観音さんは寝こどんどるし、お堂の部材は朽ち落ちとる。
こん岩屋はいい雨宿りの場所やけん、木仏とこん部材いい薪にされるやん、どげかならんとやろ~かっち思ったんが最初。
で、支所で聞いてみたら文化財指定にしたら、どげかなるんやなかろ~かっちことになって、
文化財の専門家の人に見てもらったんやけんど、
でん、心の中では「まっ無理やろ~し、役所が整備しても面白なかろ~」っち思いよった。
で、まっ思った通りやった。よかったんやけんど。
でん、あれよ、木仏がかわいそうやけんちゅうだけで、お堂を整備しようっち思ったわけじゃぁないっすよ。
やっぱロケーションがいいけんよ。
岩屋に囲まれた場所で、目の前に八面山の箭山神社の峰が望める。
平安時代に木仏をこの場所に安置した人たちも同じ思いでこの場所に立ったんやろ~っち思える。
宗教的にも意味の分かりやすい場所やけん整備しようっち思ったんよ。観光資源にもなるやろ~し。
まっ きっかけはこんな感じやったっすよ。
地元の人に相談してん、だれ一人反対せんっし。やれやれっちゅう感じやったし。
そら~賛同して求められたらやるやろ~。 【第2回に続く】
元地域おこし協力隊 秦(ハタ) 忠広
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