3回シリーズでお伝えしてきた秦さんの挑戦、最後は九州大学の学生さんたちとの共同作業と、仲間への広がりをどうぞ。長いけど(^^;これは必読です!!

 

その3 作業中のお話      前回に引き続き話体(ちょっと方言交じり)です。 すみません。

それではまず、デザインを。
お金が集まったんやけ~造らなっちゅうことで、まずデザイン。
で、考えたんが、この場所の意味合いと説得力。
① この場所の意味
人が生活しちょるっちゅうことは、その場所に何らかの意味があるっちゅうことやろ~けん、で、この場所の意味はなんやろ~かっちゅうことなんやけんど。それがこの場所わかりやすいんっすよ意味合いが。(わかりやすいっちゅうことは正しい使われ方をしちょるんよ。たぶん。)


この場所、使われ方は祈りの場。で、八面山回峰路の拠点の一つ。(八面山の登山道は昔からいくつかあったんやけんど、その入口にお堂などを設けて観音さんを祀っちょったんやて、この場所はその登山道の入口)それとこの岩屋まで登ってくるまでが急な崖で樹林におおわれとる。その崖を上り終わると、その先に写真にあるような開放感のある景色が広がっちょる。空間と行程にメリハリがきいちょるっちゃ。眼前に八面山の箭山神社がある「大嶽峰」から「しょうけの鼻」まで一望できる気持ちの良い場所。
こんな感じでこの場所、八面山信仰の祈りの場として使い方の意味合いがホントわかりやすい。
ちゅうことで、この場所は『このロケーションを活かした。自然に溶け込め、ちょっとこの場所でゆっくりしたと思わせる場所にしたい。』っち思ったんよ。

② 説得力
なんするにしてん説得力(根拠)は大事。それで、デザインの根拠探しに中津市の文化財室さんに相談に行ったら、宇佐市院内の龍岩寺を参考にしたらっち言われた。この(猪川内岩屋堂の)観音さんが平安時代のもんで、拝むんやったら何らかの舞台があったはず。初期の懸け造りの代表作である龍岩寺がいいんやなかろ~かっち。

龍岩寺
そんで屋根の方なんやけんど、論文「古代・中世の懸造について 懸造の研究 その2」に平安初期から中期の懸造りの上屋は切妻造り平入の建物、平安後期から鎌倉初期も投入堂や龍岩寺などを例に挙げ、片流れ屋根の建物だったとしとる。ちゅうことで片流れ屋根ちゅうことになった。
舞台のほうは、前の建物は方丈の入母屋の建物がはめ込んどったんやけんど、よくよく崖の側面を見てみると、前の建物の大引き(基礎材)を架けとった穴よりも2mほど前方にあるんよ、その穴(大引きを架けていたであろう穴)が。やけどその穴から垂直に地面まで落としたら、3mくらいある。やったら懸造りの舞台やろ~やっぱ。ちゅうことになったっちゃ。

デザインの考え方は、何となくまとまったんやけんど、人に説明するときに図面がいるやん。オレしきらんしっち思いよったら、いい人がおったっちゃ九大の4年生小川君。九大の朝廣研究室の4年生で卒論のテーマが「八面山周辺地域の活性化」。ランドスケープの研究室やけん、土地とか地形の文脈を読み解いてくれる。いい感じやんっち思ってお願いしたら、乗っかってくれたっちゃ。ほんといいめぐり合わせ。やけどそんかし踏査には付き合ったよ~暑い中 半分遭難しながら山中をさまよったりとか。なんせ研究内容が修験ルートの活用やけん。

 

こん人、ほんとおもしろかったったっちゃ。大学ではプロレス同好会に所属しとって、これまでの3年間は「勉学よりも交遊を広めることに力をそそいでます。」っていうような人やった。話しとる内容は彼女のことばっかやし。1月に来たときなんか、神護寺さんに泊めてもらっとって翌朝滝行って。どんだけ気合はいっちょるんよ。でん、このテーマにはあっちょった体力勝負なところがあるし、もともと頭よかろ~けん。
で、その成果(卒業設計)すごかったよ~。先生方の評価が全体の2位やったんち。

 

 

 

これにかっこいい動画があったちゃ。

で、図面。

 

後で聞いたら、彼女や先輩後輩、研究室の仲間にほぼ手伝ってもらったんって。なんか小川君らしくて、ほっとしたんやけんど。でん、それは小川君が4年間培ってきたもんやけん、すべてひっくるめて小川君の力。やっぱいい人とめぐり合わせてもらってよかったっちゃホント。

やっとお堂づくりに。
まず作業する前に木仏さんが作業中にお怪我せんように移ってもらったっちゃ中津市の文化財室さんのところに。そん時にせっかくやけんこの木仏さんを燻蒸処理してやろうちゅうことで、県の歴史博物館さんにもっていってしてもらったら、中からアリが出てきたんちアリの巣と一緒に。そんでここだけの話なんやけんど、実は他の文化財と一緒に燻蒸処理しとるけん他の文化財にアリが移っとらんか、ちょっとひと騒動あったらしい。ご迷惑おかけしたんやろ~けんど、想像したらちょっと笑らける。ごめんなさい。(ちゃんとご丁寧にアリの資料までついとった。ありがとうございます。)


木仏さんの御霊抜きはちゃんとやってもらったよ八面山神護寺の住職さんに。この住職さん声がよくて大きいけん、お経が谷中にこだまして響き渡っちょった。ちょっと感動した。

そんで、なんやかんやで4月に入って、やっとお堂づくり始めることができたっちゃ。まずは材料に防腐剤ちゅうことで、この作業は安全やろ~っちゅうことで公募してやらせてもらった。そしたら遠く大分市と日田市から地域おこし協力隊のグループ魅組さんとこの事業の主催の元気会のメンバーのご家族が参加してくれました。ありがとうございます。

ここまではいいんっすよ。こっからが大変。なんせ現場が急な崖の上でしかも機械が入らんけん、すべて手っぱ。ホント頭使わなっち思ったんやけんど、結局滑車かけてロープで引っ張り上げることに。この作業が一番しんどかったっちゃ。

 
材料をある程度、持ちあがって、そんじゃぁしようかっちなったんやけんど、一応、九大生が書いてくれた図面はあるんやけんど、現場が現場やけんほぼ現場合わせ。大工さんの腕の見せ所なんやろ~けど、こん大工さん 仕事にむらっけがあるっちゃ。こんな感じの仕事やけん味っちゃぁ味なんやろ~けどっち思い聞かせよったけんど、でんよくよく考えたら昔の田舎のお堂づくりとか、その田舎の人たちがみんなでつくり上げよったろうけん、こんな感じのつくり方、良い意味で適当な感じでできる大工さんでよかったっち思えた。自分も勉強になったし。
散々な感じで書いたけんどこの大工さん腕はいいよ。ちゃんとした家やったらちゃんと建てるんや~ねぇやろ~か。たぶん。

あと、大工さんと一緒に地元のお百姓さんにも手伝ってもらったんやけんど、すげぇ~よ~何でん出来る。さすがお百姓さん。口が悪いけんど。

途中、大分朝日放送さんの番組JokerDxさんの取材を受け、野良レンジャーの首藤さんが何回か手伝いに来てくれたり、ほかにもボランティアさんが手伝いに来てくれたりと本当にありがとうございました。助かりました。作業もそうやけど、おっさんばかりの作業の中に若い人や女性が入ってくれたけん、おっさんの気持ちに張りが出たし、参加してくれた方たちの思いも気持ちよかった。こういうのって大事やなっち思ったし、ホントありがとうございました。

 

  

そんな感じで、5月の中旬にはなんとかカタチにはなりました。ありがとうございます。

外観とお堂の中から見た八面山です。

 

やっとお帰りっす。木仏さん。
写真は御霊入れの法要風景です。再度、八面山神護寺の住職さんにお願いしてもらいました。法要後、ほら貝を拭吹いてもらったんですが、響き渡って気持ちよかったっすよ。やっぱほら貝は山で吹くもんやっち思った。どぉっすかほら貝、この場所で吹いてみては。

  

そん後 最後に落成式
雨の合間を見て落成式。宇佐市麻生谷の入り口にある妙楽寺の住職さんが法要を行ってくれました。雨の中田植え時期ということもあり、見学者は少なくはあったんですがよい法要でした。

  

最後に
木の仏像が野晒にされちょるけん可哀そうやけんっちゅうことで始めたお堂再建プロジェクトやったんやけんど、終わってみて思うことは、人ってみんなやさしい。関わっていただいた方々はみなさんそれぞれ思いはあるんやろ~けんど、本当に純粋な心根で接していただき、これ書きながら思い出してちょっと泣きよるもん。本当にありがとうございました。
またなんかつづきがあったらいい~んやけんどな~。

元地域おこし協力隊 秦(ハタ) 忠広

(その1)さわりのお話

(その2)なんでクラウドファンディングなん